しあわせについて

最近、しあわせについて考えている。

この前、とある場所にてすごく耳寄りな情報を得たのだけど、踏み切れないでいる。
それをしたら、私はずーっと思っていた願いが叶う(そうな)のだけど、それってほんとに『しあわせ』なのかしら...

確かにそれが叶ったら、私はすごくうれしいのだけど、それは相手の本当の意思なのか、それとも違う力によってねじまげられているものだとしたら、そういう弊害がどこかに出たりしないのだろうか。

とか

自分の夢を追求して、せっかくだからと割り切っていい思いをしたほうがいいのかな

とか、ぐるぐる ぐるぐる 考えがとまらない。


自分のしあわせ<<<<<<∞<<<<<<相手のしあわせ と思っているのだけど、願いが叶うことはそれ以上に魅力的で悩ましい。

今まで思ってきた気持ち や 物質的なことも考慮したら、確かにすごいパワーを使ってきたなぁと思う。のだけど、今までの思いやかけてきた年月のことは正直言ってどうでもいいこと。『無駄になる』とは思わない。相手が願ってしてきたことではないので、むしろ迷惑をかけてきた部分が多いと思う。


『どこか自分の知らないところで相手がしあわせに暮らしている』=『二度と会わない』が相手にとって一番のしあわせじゃないのかしらと思う。


もしも、仮に私の願いが叶って、隣に相手がいるようなことになって、私はこころから喜べるのかなぁとフト思った。


いつにも増してよくわからない文章になりました。